なぜFIREしたいのか
- 嫌なことはしたくない。
- 自分が嫌だと感じる人と関わりたくない。
- 自分のしたいことだけをする自由を得たい。
大きくまとめましたがこれらの気持ちがセミリタイアを目指す理由です。
嫌なことをしたくない
仕事だから嫌なことでもやらなければならないというのはそもそもおかしな話です。
嫌なことはやらないというのは当然のことと思います。
上司から休日出勤を命じられた同僚が少し嫌な反応をした際に、「いや、仕事だから!」と上司に詰られているのを見たときにはかなり違和感を覚えました。
労働者こと社畜は仕事だからの一言で、私生活を簡単に奪われるくらい弱い立場なのです。
私のような反発精神旺盛の社畜は、始業前後や休憩時間中に仕事の話をしてくるような人の時間を奪ってくる同僚・上司への警戒を怠りません。
しかし、よくよく考えてみればこの警戒が必要な不快感は紛れもないコストであり、日々コストを払っているといえます。嫌なことをしたくないためにコストを支払い続けているのです。
このような小さなコストの積み重ねは膨れ上がり、いずれ「もうやめて!とっくにぱぱかぶのライフは0よ!」状態になってしまう危険性を孕んでいます。
自分が嫌だと感じる人と関わりたくない
職場では自分の人間関係を自分で選ぶことはできません。
しかしヒトが2人以上集まれば争いは起きるものです。
嫌な上司や同僚と同じ職場になってしまい、朝から晩まで隣に座って仕事をするなんて考えただけで気が触れそうですよね。
私の場合、事務仕事なのでこれが起こりえます。
数年間も嫌な相手と隣で同じ空気を吸うことを強いられるのですから、古代の拷問にあってもおかしくなさそうなくらい過酷ですよね。
こういう拷問を意図していようがいまいが人事一つで可能な訳ですから、まさに自身の運命を会社に握られているといえるでしょう。
あのオマハの賢人もバフェットからの手紙で「十分な資産がありながら胃がむかむかする人々と一緒に仕事をすることは正気の沙汰ではありません」というようなことを言っていましたが、ぐうの音も出ないほどの正論で草が生えましたね。
バフェットさんの理論だと資産が無い者の選択肢としては耐えるか転職するかを選ぶことになりますが、転職は運命を握らせる相手を変えるだけで根本的な解決にはなりません。転職するのは膨大なエネルギーと時間が必要になりますし、給料が上がることも少ないでしょう。それならば同じ職場でもう少し耐えて資産を貯めてこの輪廻からおさらばしたいところです。
自分のしたいことだけをする自由を得たい
組織では個人で決められることはあまり多くありません。何をやるにしても上司の承認が必要になります。それゆえに個人は責任から一定程度守られています。
しかし、硬直した組織にいるとデメリットのほうが大きく感じますね。
前例踏襲主義で変化を嫌うことは硬直した組織の習性です。
例えば、職場でお茶汲みやゴミ出しについて不効率を改善するために私が中心となってやり方を変えると、隣の部署の管理職が顔を真っ赤にして私に向かって怒鳴り散らしたため、私の上司が間を取り持ち結局元に戻したということがありました。
このような組織では自分のしたいことはできませんね。
そもそも職場の仕事自体したくはないのですが、その仕事ともいえない枝葉末節な雑務の改善すら許されないような組織にいるのは耐えがたい苦痛です。
組織に属さない個人は自らの責任において自由に意思決定する方ができます。
変化を好きになり、日々改善していくこと。それが生きているということなのではないでしょうか。
食い扶持のため就職
そもそも私が就職したのも働きたいから就職したわけではありません。
好きなことを仕事にしたいとか、仕事で自己実現しようとかは全く思えませんでした。
自分の中で仕事がプライベートを充実させるための手段としての位置付け以上になったことはありません。
就職面接のため駅から会場に向かう途中のベンチに座り込み、このまま帰ろうかと本気で悩んだことを昨日のように覚えています。まぁそれが今の会社なのですが…。
大学4年の頃には寮暮らしでネトゲ三昧。めちゃくちゃな生活リズムに慣れ切っていたので、社会人は7時に起きて出社して18時まで働く?えっ、なぜ皆こんなに厳しい社会人をやっていけてるの?本気で働きたくないおれってそんなに異端か?って感じでしたね。
大学生活のような気ままな生活を続けていたいと思いつつも貧乏シングル家庭出身の私には食い扶持が必要でした。当時は就職以外で食べていく方法を考えることはできませんでした。自分の生活費を稼ぐため、食い扶持のため就職をするしかなかったのですね。
定年まで雇っていただきたいという固定観念
そして一度新卒カードの有効活用に失敗したなら、悲惨な未来しかないので就活に成功しなければならない。働かないものに対してニートという差別用語にも近い造語を作り蔑む。そういう情報をテレビやネットで見て、まともな人間は定年まで社会人として会社で働くものだという固定観念を持ってしまっていました。
まして10年20年働いて節約して投資すれば、30代40代にはセミリタイアが可能であることなんて少しも考えたことはありませんでした。
嫌でも社会人として40年近く働かなくてはならないのだと……。
私の中で稲妻が輝く瞬間
遅ればせながら30歳の時に投資について調べ始めたことがきっかけとなり、投資がギャンブルではないとわかりました。
そして、節約・投資。これを極めて実行することができれば定年まで労働しなくて良いのだと知った時、私の中で稲妻が走りました。
FIREやセミリタイアという生き方を知って身震いしたのです。
“FIRE” という概念は私にとって天啓といっても言い過ぎではないでしょう。
これだ……!私の理想とする生き方はこれなんだ……!!
fin.
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